2017年2月、親友を食道癌で亡くしました
私は、チャリティーで日本全国の被災地を廻って、マッサージや整体、針灸、カウンセリングなどで心と体のケアをするボランティアチームを結成しています。
私の担当は主に被災者の心的外傷後ストレス障害の解除で、震災後は心にショックを受けて、トラウマ(PTSD)を負っている方が多いのです。
整体を施しながら、被災者が負った心の傷であるPTSDを解除することは最も重要な震災後ケアなのです。
今年ではや活動8年目。始まりは、忘れもしない2011年3月11日の東日本大震災。
地震後の津波が街を襲い、死者は1万5,896人、重軽傷者は6,157人という未曾有の被害を出しました。
私の住まいのある埼玉県も、今まで一番大きく揺れを感じ、壁にひびが入ったり瓦が落ちたりしました。
私は、すぐに避難所に直行、まだ統率も何も取れていない混乱状態の中で、マット一つ敷いて、被災者に心的外傷後ストレス障害の緩和と硬く強張った身体の整体を施しはじめました。
一日、40人の施術をしたのは後にも先にもこの時が初めて、心身ともにクタクタになりましたが、心は元気をもらったことを懐かしく思い出します。
そして、仲間からのお誘いに乗り、毎月一回、一泊二日の東北行脚が始まるのです。場所は陸前高田と大船渡、共に多大なる犠牲を出した街です。
コンスタントに月一回、一泊二日の費用は全部自分持ちの、正真正銘利益無しのボランティアの旅が始まったのです。
利害関係のないところで出来た友の絆
そんな私達の活動に共鳴してくれた多くの施術家さんや治療家さんが今までに大勢いました。大変にありがたいご縁でした。
その中でも、私の兄貴分として、かわいがってもらったケンさんとは、チームの立ち上げからご一緒してはや6年、何度も東北に通い同じ釜の飯を食べて飲んで語らった仲でした。
歯にもの着せないストレートな言い方は、回りくどい事が嫌いで、好き嫌いのはっきりとした性格ですが、私とは不思議と馬が合い、ネットの構築方法をご教授してもらったり、飯を食べに言ったりもしました。
在りし日のケンタ兄貴
そんなある日、食堂で飯を食べていた私の隣でケンタさんが不思議な事を言い出すのです。
ケンタ兄「最近飯が胸に詰まるんだよね」
私「良く噛まないでのみこんでるのでは?」
といって笑い話をしていたのですが、それから一ヶ月経ってもその症状が改善されませんでした。
これは、何かあってはいけないと病院での検査を勧めて、どうなるものかと心配していました。
下された診断は食道癌ステージ4
現実とは、悲惨なものです。
人のために、我を差し置いて癒しを続けてきた人が、余命半年の告知を受けたのです。
まさかと思いました。嘘であって欲しいと思いました。つきつけられた絶望にあわてました。
私たちは、治療家のチームです。ありとあらゆる人がケンタさんに癌に効くといわれている療法を試しました。
気功療法、温熱療法、食事療法、紫光線療法とそれぞれの人が考えられるありとあらゆる方法を試したのです。
しかし、その甲斐も無く、わずか4ヶ月でケンタさんは帰らぬ人となったのです。
絶望感のなかでもたらされた光
私は、ケンタさんが余命半年と分かってから、癌の治療法をずっと模索していました。
もともと東洋医学や手技療法には詳しいので、ある程度の知識はあるのですが、必ずどこかに癌を治す方法があるはずだと、それを探し続けていました。
ありとあらゆる癌の本、ネット情報、論文などを読み漁り、しかしどこにも解決策をみつけられませんでした。
っそしてついに、解決方法は見つからないまま、ケンタさんは帰らぬ人となってしまったのです。自分の力の無さがとても悲しく思いました。
無力な自分がくやしくて、くやしくて仕方ありませんでした。
しかしそれは突然のようにやってきました。その力はある日ふと私に舞い降り、閃いたのです。
そうか!癌や難病の原因はこれだという事に気がついたのです!
それからは、頭の中にあるその閃きの理論を実証するために、科学論文や海外文献を読みながら、私のひらめき理論でいけることを実証していく作業に入ったのです。
それが、周波数共鳴理論です。
地球上のありとあらゆる物質はそれぞれ固有の振動周波数というのを持っています。
同じ周波数どうしは共振共鳴するという性質があるのです。
この共鳴という現象を使えば、ほかの細胞を傷つけることなく、問題となっている細胞のケアや、バクテリアやウイルスの破壊が出来るいう理論です。
これを実証すべく、装置の開発に着手しました。波動発生装置はジェネレーターは色々なものが売られてはいるのですが、多社多様で効果が疑わしい物が多く、それよりも問題なのが波長や出力のコントロールなのです。これが少しでも狂えば、まったく効果は見込めないのです。
これは、パソコンにて正確にコントロールしなければなりませんし、そのためのソフトも作らなければなりません。
癌や難病奇病の周波数も発見しなくてはならないのです。そして、どうやって有効周波数を病原体に届けるか。
このころから、今でもなのですが(笑)まだ日本でこの分野の研究者がいない為、海外論文や海外医療文献を読み漁る日々なのです。
そして、ついにその初号機が完成したのが、ケンタさんが亡くなってから一ヵ月後の事でした。
大人になってから出来る親友は貴重です。だから、くやしかったのです。とても悲しかったのです。癌にケンタ兄さんを持って行かれたことが(泣)
ケンタさんの命と引き換えに完成した初号機、いまではそれが改良を加え圧倒的な効果を発揮しています。
今は、対応できる疾患は約40000種類、外科手術も投薬も必要なく、患者は副作用に悩まされる事はもうありません。
私はこれを、未来医療のプラズマ共鳴波動と名づけて、一般には公開せず、身内や知り合いのみ公開をしてきました。
それはこの夢のような療法は、いろいろと語弊が多く、いわれの無い嫌がらせ等も予想できる為、秘密にしてきたのですが、今ここに後悔する事を決めました。
私は有名になり表舞台に立たなくて良いのです。ひっそりと影で、一隅を照らして、難治性疾患の最後の砦の存在でありたいと思うからです。